石城山 2015.11.05

(いわきさん・362m) 山口県光市



石城山(いわきさん)は、山口県光市と熊毛郡田布施町にまたがる標高362mの山。山口県立自然公園に指定されており、石城山県立自然公園の中心となる山である。別名は西ノ富士。中国百名山のうちの1つ。

丹沢山
山麓から見る石城山

歩行距離 3.4km
所要時間 2時間15分
累積標高差 (+) 296m  (-) 296m
コース 出発点 09:25 → 分岐09:52 → 石城神社10:05 → 石城山10:47 → 石城神社11:00
→ 分岐11:10 → 出発点11:25 

1年間に山に行くことができるのは、船を下りた休暇中のみで年間約110日の間だけである。休みも終わりに近づき今回最後の山登り、1泊2日で岩国近辺の山登りの小旅行に出かける。山口県内にある中国百名山の中でまだ登っていない石城山と銭壺山に登る。

早朝に萩を出発し、山口から徳地を経由して一時、周南市付近の渋滞に巻き込まれたのち瀬戸内海沿いに188号線を走る。光、田布施を過ぎカーナビを石城山の三鍛冶屋登山口にセットする。県道68号線に入り難なく登山口付近まできたのであるが、 地図に示されている曲がり角の結界石柱がどうしても見つけることができない。3回も付近を行ったり来たりするが見つからない。地図を見てやむなく近くの別な伊賀口登山口か登ることにする。登山口の50m下の道路端のスペースに車を停める出発する。

ジグザグの急登を上り喘ぐ、やがて尾根に達し道はなだらかになる。竹林の落ち葉の敷詰まった広い登山道を上っていく。小堂を過ぎ、三鍛冶屋の分岐点を通過する。第二奇兵隊隊士首置松跡の先に進むと視界がひらけ樹林帯を抜ける、再び深い森に入るとすぐに広場に出る。その広場にはそこは昔、神護寺というお寺があり、幕末の一時期、第二奇兵隊の本陣あったという。その近くには岸信介、佐藤栄作兄弟のそれぞれの石碑がある。二人は田布施町の酒造業を営む佐藤秀介のニ男、三男として生まれた。兄弟二人とも総理大臣なったのだから凄い。二人との超秀才だったに違いない。それから岸信介の孫の安倍晋三も・・・。長州閥の系譜はいつまでも続く。

広場の先には、重要文化財の石城神社本殿がある。なだらかな神社の広い参道を歩いていくと神護寺仁王門(随身門)がある。ここから石城山の最高峰である高日峰に行くのであるが、道に迷い右往左往する。石城山は、山の周り全体を「神籠石(じんごいし)」という城壁で囲まれた。巨大な古代山城であったという。誰が作ったのか定説がない。古代にこんな巨大な山城があったとは歴史のロマンが湧いてくる。迷いながら荒神社、宇和奈利、若宮社、日本神社の神社群を通過し、さらに進みついに高日峰の入口を見つける。150mぐらい急登を上り高日峰山頂に達する。山頂はお堂があり樹林の中にあるが、東側の視界が開け、柳井市街地と琴石山・三ヶ峰を見る。視界は今一つだが素晴らしい神秘的な風景が広がる。その方向から登る登山道もあるようだ。

風景を楽しんだあと来た道をたどり下山を始める。今日は移動してもう一座、近くの三丘ヶ岳・平家ヶ城に登る予定なので道を急ぐ。11:25無時出発点まで戻り、早速移動を始める。石城山は古代から幕末、昭和に至る歴史が詰まったロマンを感じさせる山であった。



伊賀口登山口の近くに車を停める。


伊賀口登山口に入る。

竹が茂る森を登って行く。

歩きやすい登山道。

数少ない紅葉の木を見る。

小堂を通過する。

三鍛冶屋との分岐がある。

第二奇兵隊士首置松跡

森を抜け視界が開ける。

竹が束ねてせき止めているが何のためだろう・・・。

広場に出る。神護寺(じんごじ)というお寺があり、幕末当時、
第二奇兵隊の本陣が置かれていた。

第二奇兵隊本陣跡(現地解説)
1865(慶応元年)年3月3日、室積の普賢寺に本陣を置く南奇兵隊は、本格的な訓練が可能な石城山の神護寺に本陣を移転した。隊士は400人を超えており、転陣後、本陣である神護寺周辺の施設整備に着手した。神護寺の修理に加え、兵舎、病舎、厠、廐舎(きゅうしゃ)が新設され、約40頭の馬が飼育されていた。兵舎は3棟・・・あったと伝えられている。陣屋の新築には、松や杉の他に約2000本もの竹が伐採された記録がある。
・・・同年4月、同年4月、南奇兵隊は長州藩から正式な諸隊として公認され「第二奇兵隊」と改称し、隊士は定員100人(後に150人)とされた。しかし、隊士を定員数に削減することは困難であった。そこで、隊士を2分し、1ヶ月交代で石城山での訓練と下山による家事の従事に分かれた。そのため、待遇や武器の不足などで最初から問題を抱えていた。1866年(慶応2年)5月5日、第二奇兵隊の本陣は専福寺(現 田布施町)に移り、石城山での役割は終焉を迎えた。


石碑がある。
(明治維新百年記念樹・内閣総理大臣 佐藤栄作)

広場の先に進む。


石城神社


石城神社本殿-国指定文化財(現地解説)
石城神社は延喜式内社で、由緒ある神社である。祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)・雷神(いかずちのかみ)・高れい神で、武事・鉱山・農林の神をお祀りしている。旧号を三社権現といっていたが、明治元年石城神社と改称した。石城神社の創建は明らかではないが、社伝によると、敏達天皇三年(574)の鎮座といわれ、天皇の勅額と伝えられる「石城宮」も保存されている。
本殿は、文明元年(1469)大内政弘が再建したものと伝えられている。・・・建物は室町時代の特色を残している。大正十年(1921)解体修理、昭和58.59年(1983.84)屋根葺替を行う。明治40年(1907)5月27日に特別保護建造物に指定され、昭和4年(1929)7月1日国宝に、同25年(1950)8月29日に重要文化財の指定を受けた。



第二奇兵隊志士を懐う碑(現地解説)
周東の健児起って血盟す
回天の偉業雲を破って成る
千古の秘謎尚解く可し
誰か遺烈を承けて聖明に答えん

(解釈)
周東の健児が立ち上がり固い約束をした。
維新の偉業は暗雲を打ち破り達成された。
(神籠石に)古くから秘められている謎は更に解明しなければならない。
先人の偉業を引き継いで聖明にお答えしようではないか。


第二奇兵隊志士を懐う」碑・1944年 岸信介が詠んだ七言絶句 →

ひかり名木百選・ウラジロガシ巨木群

神護寺仁王門(随身門)

神護寺仁王門(随身門)(じんごじにおうもん・ずいしんもん)-(現地解説)
現在は石城神社の随身門であるが、第二奇兵隊の本陣が石城山に移されたときは、神護寺の山門であった。そして、仁王像が納められていたことから「仁王門」と呼ばれていた。
転陣後、仁王門は本陣の正門として役割を果たした。また、石城山頂付近の五つの峰(石城五峰)を木柵でつなぎ、銃を持った隊士が見回りをしていた。さらには、石城山への登山口に「如何なるものといえども入山を禁ず」という高札が立てられており、軍事基地の様相であったと推察される。なお、仁王門では二人の隊士が銃を持って警衛していたが、衛兵所の空間を確保するため、仁王像を引きずり出したという逸話も伝えられている。
また、仁王門付近は訓練場所でもあった。門の奥に野戦砲を備え付け、頂上の高日ヶ峰の山腹に打ち込む射撃訓練も行われた。仁王門の柱には修理の手が加えられているが、刀傷が残っているとされている。門の手前では、刀を使っての接近戦の訓練が行われた可能性もある。
現在では、随身門が格子の中に納められているものの、この門は、隊士の激しい訓練や駆け抜けていく様子を知っており、現存する貴重な「もの言わぬ証人」とも言える。

石城山には古代山城があった。山頂周辺にはいくつかの神社がある。

石城山神籠石(いわぎざんこうごいし)-(現地解説)
「石城山神籠石」は巨石を一列の帯状に並べて、山の中腹から8合目あたりをはち巻状に取り囲んでいる古代の大土木工事の遺跡である。
明治42年秋、当時の熊毛郡視学・西原為吉氏(福岡県出身)により発表された」。それまでは、九州にしか存在しないとされていたこの大遺跡が本州でも発見されたので、考古学界の注目するところとなった。この「石城山神籠石」の列石線は、南側鶴ケ峰(356.7m)の近く(標高342m)を頂点として下向きに回り、石城五峰(高日ケ峰・鶴ケ峰・月ヶ峰・星ヶ峰)を取り囲み、最下部は北水門あたりで標高268mまで下がっている。
列石線の総延長は、2533.54mにもおよぶ大規模なものである。列石線が谷間を横切る場所には、高い石垣壁を築き、その下部に水門を設け、北水門、東水門、南水門、西水門が発見されている。(水門の奥行き、10.6〜20m)城門は、表門と裏門に当たるとみられる遺跡が発見され、第一門跡(北門)には「沓石」とよばれるニ個の門扉の柱礎石が遺っている。
「神籠石」をいつ頃、だれが、何の目的で構築したかにつては、明治31年(1898)福岡県高石山で発見されて以来ながく定説がなく、神域説と山域説とで論争されてきた。昭和38.39年、国の文化財保護委員会(現・文化庁)、山口県教育委員会・大和村(現・光市)との共同の発掘調査の結果、従来知られていなかった人枡、柱穴、版築工法による大土塁が、数百メートルにわたり発見され、古代山域遺跡であることがはっきりした。



丁塚

荒神社、宇和奈利社、若宮社の前を通る。

石城山山頂・高日峯(362m)に到着する。山頂には高日神社がある。

高日峯山頂にて。




高日峯山頂からは琴石山、三ヶ岳と柳井の市街地が望める。


神護寺仁王門(随身門)





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